lundi 7 juillet 2014

〜お稽古メンバーブログ ④〜

Despite having started to study the japanese language and culture almost 20 years ago whilst at university in the UK, spending one year as an exchange student in Gunma and another four in the north of England and in London learning all I could about Japanese art history, history and language, it wasn't until the beginning of this year that I left the realm of pure theory and started on the ura-senke tea ceremony path. How ironic that it was to be in Paris, a city that neither I nor my wife come from, that I was to encounter tea properly!

Introduced by my wife, I had already met Takaoka-sensei on a number of occasions, but it wasn't until I assisted at a hatsu-gama party that I was fully won over by the beauty and grace of the tea ceremony. That was six months ago now, and although I have a huge distance to go yet before I can consider myself with any degree of conviction to be an adept, I am content to be at least able to say that I am a tea practitioner, to have become accustomed to the mental calm and physical peace that come from practice, and to feel that I have begun to understand the significance of the tea ceremony.

I have heard it say that cha-do -- be it of the omote-senke, ura-senke or any other school -- is a thing of an era long-gone, an insignificant past-time for the culturally closed-minded, a hobby unworthy of attention. And whilst I have never adhered to that opinion, I admit that I did perhaps unconsciously dismiss tea as a rather effeminate form of distraction, something for bored housewives to entertain their friends with. But with the little time I have spent actually practicing and, perhaps more importantly, observing other practice, I am firmly convinced that I was wrong. I find it hard to believe that it took me so long to find the tea ceremony, that it took me so long to see in the tea ceremony the proof of something I have long felt with regard to traditional culture and art: that the closer each nation adheres to its traditional culture the closer it is to its roots, and that the closer it is to its own roots, the closer it is to the roots of other cultures. With the importance it accords to respect, the skillful way in which it blends discipline and grace, economy of movement and expression of beauty, and the total mastery of the balance of simplicity and complexity, the tea ceremony is undoubtedly one of the ultimate expressions of Japanese culture.

And yet, it seems to me that in being so intrinsically Japanese, in being so thoroughly linked to one place and one culture, the tea ceremony is ultimately universal. Whilst it may at first look very different and seem very foreign, I somehow feel increasingly at home practicing the tea ceremony, more so than I do when, say, visiting a modern shopping store or walking along the street of a large modern city, be it in Europe or the Far East. I may be a peculiar kind of European, and Takaoka-sensei may not be the average teacher, but I am sure that what I feel goes beyond just me, beyond just Takaoka-sensei, even. I suspect that because the tea ceremony is so at peace with itself and so intensely rooted in its own cultural background, that it inspires all those who practice to be at peace with themselves and to take root in their own cultures, and that this is what instills the sense of place and of belonging that comes with practice: and when we have a good base to stand upon, it is only natural that we can see further and more clearly. That then is perhaps why I feel more and more that the tea ceremony enables me to rediscover the roots of my own culture, to see the common points between the traditions I was brought up with and those of Japan, and to feel this sense of time and place at once very specific and universal.

It has only been six months, then, since Takaoka-sensei was kind enough to take me in and to teach me; it is only a percentage of what she teaches that I understand; it is only a small part of what I understand that I can remember; and yet, it already seems so rich, that it amazes me to think of what it must be like to have been practicing ten, twenty, thirty years..! I am happy that Japan has an art form as powerful as the tea ceremony, and happy that I am able to practice it: I thank the ura-senke school for conserving their traditions with such brilliance, and for bringing such an art form through the centuries to the present day, and I thank Takaoka-sensei for teaching me.

Nicholas

 

samedi 28 juin 2014

夏有涼風 ~お稽古メンバーブログ3~

私達家族は、子供ができたことを機に数年前、今住むSaint Arnoult en Yvelinesという森に囲まれた村に引っ越してきた。
アメリカ風の、家と家の間に壁がない、静かな住宅街。気になるご近所さんはというと、ほとんどが両親くらいの年代の
定年後のカップルがほとんど。田舎の人は、パリとは違って、皆やさしそう。。。と思って喜んでいたのは束の間、一軒だけ
どうも気になる、感じの悪いおじさんがいた。男の子2人を持つ4人家族なのだが、特に親父さんは、妙に愛想がよくない。
こちらが挨拶をしようと目線を送っているのに、絶対わざと、無視しているのだ。私と旦那の中では、”あの人、完全に
人種差別の人やと思うよ””うんうん、絶対そう!”とすっかり彼は悪者になっていた。

そんなある日、私が庭の芝生刈りの作業を、手動の道具を使って汗を流してやっていたとき、あの親父が前を通りかかった。
いつもの通り、がん無視をくらわされるのを承知で、何気に見つめていたら、今日は彼もこっちを見つめている。
???と思った瞬間、こちらに向かって、ずんずん歩き出した。何?何?何か私悪いこと、したかな??と焦り始めた頃、
”そんな道具でやっていたら、すぐに背中を悪くするよ。”と言う。”うちに電動のものがあるから、それを使うといいよ”
そう言うと、彼はこっちが答える前に、さっさとその道具を探しに彼のガレージに向かった。
”はい!僕は急いでないから、返してくれるのは、いつでもいいよ”とニコリ。
ぽかんとあいた口がふさがらなかった。
今まで、人種差別呼ばわりしていた、あの愛想の悪い男が、今かけてくれた優しい言葉と行動のギャップに、とまどいを隠せなかった。
そしてその夜、いかに人のことを見かけで判断することがいけないことか、旦那とワインを飲みながら、しみじみ語り合った。

その数日後、また彼が私に話しかけて来た。無視されていると思い込んでいた時は、あんなに恐い形相だと思っていたのに、実際に話して
みると、すごく優しい目をしていることに気付いた。聞いてみると、彼の親しい友達で、日本人女性と結婚しているやつがいる。
よく家に呼んでごはんをしているから、次回彼らが来るときは、是非来ないかということだった。それも、彼の奥さんは、なんやら
お茶をやっているとか、教えているとか、、、ふーん。とにかくそれより、近所中で一番意地悪だと思っていたおじさんが、
私達を一番最初に家に招待してくれる人になるなんて、夢にも思わなかった。

そしてとうとう、彼達のお家で、裕子さんに会った。すごくキレイな人!っていうのが、最初の印象だった。
話してみると、それも、関西弁!めちゃくちゃ嬉しかった。こんな田舎で、関西弁で話せる人と出逢えるなんて、びっくりした。
同郷同士で、とにかく初対面とは思えないほど、盛り上がった。フランス人達のことは眼中になく、お茶の話、仕事の話、子供の話、
色んな話をがんがん、語り合った。そして少し話した後、すぐに感じた。この人は、絶対すごいお茶の先生だと。
関西弁でくだけているのだけれど、どこか凛とした美しさがある。ふんわり女性らしい雰囲気の中に、芯がしっかり通っている。
こういう人が伝えるお茶は、きっと素晴らしいのだろうな。。。以前にパリで習ったきり、尻切れトンボ状態になっていた、私の中のお茶心
に、また炎がともった。お茶のほうから、またやるべきだよ、と言ってくれている気がした。

今の時代は本当に便利になったもので、裕子さんとは、LINEでその後も、簡単にかつ頻繁に、連絡をとりあうことができた。
裕子さんも、週末はご家族と時間を過ごしたいだろうに、平日はどうしても無理という話で、あきらめかけていた私に、
土曜日にできるかもしれない、と前向きに土曜日講座開講にすぐに取り組んでくださった。この場を借りて、改めて感謝します。

こうした不思議な縁で、私はまた、お茶を始めることになりました。
海外に暮らしている分、こうして定期的に日本を感じること、そして季節を感じること、そして今日の幸せを感じること。
今後、自分がお茶のお稽古を通して、どういう風に自分が成長してゆけるか、今から楽しみです。

坂口香織




mardi 24 juin 2014

日日是好日 ~お稽古メンバーブログ2~

Sさんが6月末でパリを去る。裕庵にとって欠かせない存在のSさん。お昼チームを引っ張って下さった頼りになる先輩。
5月、アトリエフジタでのデモンストレーションを終えてほっとした頃、「茶事をするのは時間的に厳しいので、Sさんの送別会として且座をしましょう。」と先生から提案。

七事式の且座では、亭主と半東だけではなく、客も花、炭、香、と事前に決められたそれぞれの役割を担う。
経験の浅い私たちは先生からじっくり所作の指導を受け、全体の流れをつかむ。Sさんは亭主。私の担当は正客でお香。香を聞くのは初めての経験。

当日。朝から快晴。
心地よい初夏の空気の中、Sさんをイメージしてお香を選び、軸を掛け、花を揃え、そして道具を棚に飾っていく。水屋で頂くお菓子は手作りの水無月。最後に全員着物をまとう。

席入りして、総礼。一気に気持ちが引き締まる。
亭主の所望で式が進んでいく。丁寧に挿された花、初めて見る先生の炭手前、ドキドキしながら焚くお香。温まった香炉を持ち上げて試し聞きをすると、柔らかい香りに緊張が解ける。
そして亭主であるSさんが濃茶を練る。凛とした姿に全員が見入る。水を打ったような静寂の中、茶筅の音が響く。
二度とない、かけがえのない時。
茶碗の赤とお茶の緑が目に鮮やかで、本当に美しい。ひとくちひとくち味わって頂く。
半東が亭主に薄茶を点てる。
ほっとする気持ちと、あー終わってしまうという寂しさで胸がつまる。

且座は自分の役目に没頭するだけではなく、皆との調和を考えながら一つの空間を作り上げる。そして最後まで責任を持って役割を全うする。
いつもの稽古とは違った風景で、周りを見ることができる。仲間の新しい一面を知ることができ、役割の本質を理解することができる。

反省点は多々あれども・・・この時間を皆で過ごせたことに感謝し、Sさんへのはなむけの会になったのではないかと。自画自賛。
先生セレクトのお軸は「日々是好日」-どんな雨風の強い日でも、全身全霊で生きましょう。
送る側、送られる側、決して生徒を油断させない、素敵な先生であります。
ITO

lundi 16 juin 2014

お稽古メンバーのブログ 1

私が裏千家の世界に入れたのは、今ナンシー在住の玲子さんのおかげです。
彼女が気軽に声をかけてきて、お茶いかない?とまるでカフェでもするかのように
誘われたのでした。笑
はじめは娘のリディが誘われて、私は見学するだけでいいよ。と言われていたので
そんなものなのかと本当に無知のままで茶道を見学させていただいた時、日本の美学というか、海外生活が長くなってきて茶道の美しさが心まで浸透していくのがわかりました。
リディも海外にいながら少し茶道を学べたこと、誇りに思っているようです。

もちろんそれまでの私は茶道などとても敷居の高いものでとても恐縮していた世界でしたので、娘を利用して(笑)私も少しづつ茶道のことが分かってきました。
きっと日本に住んでいたら私は茶道のことを学べなかったと思います。
でも少しづつでもいいから日本人の私は茶道を通じて日本の文化を今更ながらなのですが覚えなくてはならないなー・・・と痛感しています。

茶道の時間、雑念を忘れてお茶のことだけを考える時間。とっても精神統一になって、
フランスにいるのにあの空間はとても好きです。

でもまだまだ覚えることだらけで、いつかは先生のようなお点前がしたいと思いつつ、
うーむ・・・頑張りまーす!

ゴンザレス明子

lundi 26 mai 2014

Atelier @Maison Foujita ③


お茶会当日。

先週までは雨模様だったのに、雲一つない晴天!!
日ごろの行いがいいのですね~
畳を四畳半と道具一式入るプジョー君のお陰でdeplacementでデモンストレーションが出来るわけです。有難いですね~ 今度洗っとこ。

さて、現地に着いて水屋と床の位置から決めるところからスタート。
園子さんはSaeちゃんの授乳の為長時間は空けられないからといって、準備、そして一度家に帰り夜の部にまた来てくれるという情熱です。 メンバーの中で園子さんはGuimetAcclimatationといくつかのデモンストレーションを経験しているので、園子さんが準備に来て下さったのは皆にとって心強かったのでした。
そしてまた、私にも「裕子さん、もっと白いファンデーション塗ったほうがいい」とか、他の人が言いにくい助言もして下さるので本当に裕庵にとって欠かせない存在。
それなのに~ もう来月帰国なんて~ 涙涙涙

こちら、一応白めのファンデを塗っているショット
あまり色白ではないので、着物の時こまるんですよね。。 殆どが着物なのに・・・
 
それにしても、お天気のいい日に大好きな人たちとあーだこーだ言いながら準備、楽しすぎる~

こうして落ち着いていられるのも、実は前日に円君と下見に行ったからなのでした。
Anneに遊んでもらって嬉しそうな円君

待てど暮らせど衝立が到着せず、もう軸を掛けようか、と話しているところにやっと到着。衝立を茶室に設置したときの感動! 緑の中にすっと溶け込む、これがなければ今日もないという程に空間に似合っている。


素敵な一日になりそうな予感・・・

 
15時 第一回アトリエ
初回にはMuseeの方たちにも入って頂きました。


16時 続々と人が集まり、こちらは実際にお客様にお茶を点てるのを経験してもらうというアトリエ。 この男性はお連れの女性にお茶を点てると意気込んでおられます。
美味しく点てれたかな?


 
17時 衣都さんのご家族がいらして下さいました。
「自分が入ったら夫婦漫才みたいじゃぁないですか、」と遠慮なさるご主人様を引っ張ってお正客に座っていただきます。


ね、ご主人様、いい思い出になったでしょ 
 

今回は水屋に徹して下さった桃さんもご家庭の都合でお戻りになります。 
お疲れ様でした~ あー、どうして水屋での写真撮らなかったのだろう・・・

Musee Foujita 藤田嗣治美術館 お茶会 ②


お茶会の日には15時・16時・17時の3会でYu-anお稽古メンバーによるアトリエを開催することに決まりました。 

で、メンバーに5月17日土曜のご都合を伺うことから開始。

ここで、私は皆さんに全てをお任せし、努めて裏方に徹することに決めました。それは偉大なJack先生の指導方針。

Japanese, they are used to follow the orders but this is the training to decide themselves.

今回はみゆきさんと衣都さんがリーダーとなり、会をまとめてくださることに。ある程度の出席者の状況がつかめると、衣都さんがサラリと「先生、出席表を作りました」とこんなものを作ってくださいました!



このお方、独身時代は某日系航空会社のスッチー(この呼び方古い??)だったのに、どうしてこんなに事務作業できるの??

私が目を丸くしている間にどんどん役割とすべきことが進んでいきます。

皆さん全員が自分のできること、できないことを話し合いながらアトリエの方針や解決策を生みだしていきます。 本当に私いらんやん・・・

そこで私はお茶を全く知らないフランスのお客様にお茶について説明をして下さい、と提案。
WikiCeremonie du theの説明書きから必要な部分を抜粋して下さい」との要望があったのをあえてはね返し、「皆さんが日々のお稽古で感じていることをそのまま文章にしてくれたらいい」

お茶って、それぞれの道であり、人それぞれ思うこともいろいろだと思う。 1年稽古した人もいれば治子さんなんて2ヶ月目だけれど、みんなそれぞれいろいろな想いを持っていると思う。 私も語りつくせないほどお茶の話をしたい時があったり、全く何も語れない日もある。 お茶は何が正しい とかではなく、自分がどうお茶と向き合うかだと思うのです。 そういう訳でWikiは却下させて頂いたのが大正解、フランス語万能な美幸さんが何とも美しい説明をつけて下さり、治子さんが更に膨らませて下さいました。


La cérémonie du thé,
C’est le moment de la purification de mon âme
où j'élimine les pensées toutes confuses,
 
から始まり、次はMaison Foujitaの説明

Foujita a voulu donner à ses oeuvres un attrait visuel autant que tactile,
comme le céramiste japonais qui façonne le bol de la cérémonie du thé
en pensant plaire tout autant aux yeux
qu'au toucher des lèvres,
et de la main.
Aujourd'hui, c'est un grand plaisir pour nous d'avoir cette belle occasion
de présenter la cérémonie du thé
dans le dernier atelier où il vécut.
 
 
Et laissez vous aller à trouver la paix intérieur....
(心の中の平和を探しに行きましょう)という風に終わります。
私の言葉で訳すと陳腐になってしまうのでなるべく控えたいと思います。


みんな~!! こんな風に思っていてくれたんや~
お茶の美しさとフランス語の美しさが融合したのを見た瞬間でした。

La nuit des Musee @ Maison Foujita 藤田嗣治美術館でのお茶会 ①


さて、前回の投稿からはや2年!! 

今回、久しぶりにブログを開けてみたのは、Yu-anお稽古グループの皆さんと一緒に、お茶を通しての自分、もしくはただ単に自分の身の回りのことなど、とにかく自分と向き合って文章を書こう ということになりました。
この試みを始めるきっかけとなったのは、京都漱石会代表を務めていらっしゃる丹治先生のお言葉、「文章を書くのは訓練だから。 ちゃんとした文章を書けるようにならないといけません。」と、漱石会の会報への投稿を何度か経験させて下さったのでした。

というわけで、Yu-anお稽古のお菓子だけでもかなりあるのでネタには困らないでしょう。

 
トップバッターは園子さんなのですが、ちょっと失礼して先日のLa nuit des MuseesMaison Foujitaのことを書こうと思います。 

きっと皆さんの思い出の一コマに残るはずのイベントだったから・・・
 
このイベントで欠かせなかったアイテムになった衝立のエピソードから始めようと思います。
そもそもこの衝立、藤田嗣治の筒書なんですよね~
これは複製ですけれど、本物と全く同じです。 ↓

 
 


 

みゆきさんと打ち合わせに行ったのは4月中旬、ChavilleからN118Villier le Bacleへ。 遠いような気がするけれど、車で20分! Eiffel塔に行くのとたいして変わりません。
畑の道を通り抜けると可愛らしい町に入るとそこに藤田嗣治が晩年を過ごした家があります。 


 
気さくなDirectriceのアンさんとFlorenceさん。
 
 

5/17日のイベントの打ち合わせが始まると私の頭の中はお茶会の道具組みのシュミレーションでグルグルグル・・・
やっぱり一番に考えるのがお軸ですね。 
でもテントで野点、一体どこに軸をかける? 

そんなことを考えながら、藤田嗣治のアトリエを案内してもらいました。
この美術館は全て藤田嗣治が住んでいた頃のものが置いてあります。 
1階は玄関と台所、

 

結構カワイイ系が好きだったのかな?

2階に上った瞬間、衝立が目に入り、「コレを軸の代わりに使いたい!」とヒラメき、早速Anneに打ち明けてみますが、断固として『No』コレは美術品なのよ! とのこと。 

ま、そらそうですよね・・・

それでも諦めきれず衝立をいつまでも眺めている私に、Anneはこんな提案をしてくださいました。
「本物はむりだけれど、複製で作ってあげられるかも」

感涙・・・

そういえば、「アナタしぶといわね」 とも言われた気がします。。
 

そして3階のアトリエへ。
 
 

このアトリエへは奥様の君代夫人も滅多に入ることを許されなかったという。

このアトリエに入った途端、何か冷や汗がでるような、鳥肌が立つような感覚に囚われた。

正面の暖炉の壁に描かれたキリスト磔刑図、そしてピエタ。 画法はミケランジェロの模倣かと思う絵から近代美術マネの技法かと思われるものまで多様。 フジタはあらゆる画家の技法を取り入れ、自分の芸術を作り出すため模索していたまさに日本人が得意とする模倣から始まり、新しいものを創るという人だったようです。

こちらは絵画を描くためにいろいろと用いられた日本の粉たちで、はったい粉・硫黄・黄な粉・ぬか とあらゆるものがありました。
 
 
こちらは藤田の名前が刻まれているノコギリ!!


 

学生時代は西洋美術、主にミケランジェロの研究をした私にとって今回の藤田嗣治美術館の訪問は17年前の学生時代にタイムとラベルをしたような感覚でした。

今はお茶に夢中だけど、いつかまた論文を書きたいな。。