lundi 23 novembre 2009

霜月の茶事

11月は炉開きとされていますが、利休居士は『柚子の色づく頃に』と言ったそうです。 パリではマロニエの葉が落ちる頃、もしくは宗旦の教えのように『吐く息が白くなる頃に』というのが適当でしょうか。
私たちの師である、Jack Convery宗好先生の弟子も今やインターナショナルに。
Nadjaはスイスからパリに音楽留学中、Lauraはパリジェンヌですが今はドイツでお仕事をしています。
私とNadjaは日本で一度だけ、Lauraは初めてお目にかかりますが、こういう機会に茶事は最適です。
懐石料理はごくシンプルなものにしました。 霜月の利休が何となく身近に感じられる季節に、フランスとスイスのお客様をお迎えするにあたって、限りなく侘びたものでおもてなしを致しました。
Nadjaと私は一緒には稽古しなかったものの、同じ師に教えを仰いだ同士。 動きが似ているような気がします。
二人で濃茶を。
こうして外国人(ここでは私が外国人ですが・・・)が濃茶を召し上がるのを見ていると、茶道はもはや日本の文化だけではないということを感じます。  一つの茶碗を回して飲む ということは和が輪になるというのでしょうか。
Nadjaga薄茶の点前を。

Lauraもお茶を点てるのに挑戦

花入れとお花を戴き、早速生けさせていただきました。
今日は何となく花は飾らず備前の香合だけを飾っていたのですが、この花入れとオレンジのお花、何の違和感もなくしっくりとしつらい合っていました。






jeudi 19 novembre 2009

茶道とモンテソーリ教育

大変ご無沙汰して申し訳ありません。
前回のブログから半年以上・・・ それなりに活動していたのですが、日本に行ったりアフリカに行ったり、pcが壊れたりという状況でした。

今回、またブログを書きたいと思ったのは、今読んでいるモンテソーリ教育の本について。
私も一児の母として、子供の教育にはとても興味があります。
モンテソーリの本を読んでいて、モンテソーリ教育と茶道とのつながりに気付きました。
繋がりというよりもむしろ茶道=モンテソーリ教育なのかもしれません。

・お盆に物を入れて運ぶこと
・水をコップに注ぐこと
・布を絞ること  等という当たり前の動作から

・秩序を大切にしてあげること
・物事の順番を考えさせること
・挨拶をさせること
・自分でさせること  これらも当たり前のように見えますが、実はできない子供が多い。 というよりも、それをさせてあげない親が多いようです。
子供は自分で秩序を大切にしたいのに、親は自分の秩序を子供に押し付ける。
挨拶をしたくても、「この子は恥しがり屋だから・・・」と言われては恥しがるしかありません。

お茶の稽古では、一回の稽古で何度も挨拶をします。
まず稽古場に来たら先生に挨拶。もちろん扇子を持って、真のお辞儀です。 それから社中に挨拶、稽古を始まる前・終わった後。 客でいてもお菓子を戴くとき・お茶を戴くとき。
数え切れません。

私はこれまで「茶道は感性を磨く修行だ」と思っていたし、生徒さん方にもそう教えてきました。でも、子供の教育とこれだけ大きく関わっているとは思っていなかったのです。
今回茶道の稽古の中で子供への大切な教育がたくさんあるのだということに気付きました。
次、私がしなければいけないことは、この発見を行動に移すこと。
茶道とモンテソーリ教育の関連性をどんどん広めていきたいと思いました。