jeudi 18 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑨ ~最強の癒し~

 今から7年前、共通の友達を通して、私は先生と出会った。茶道に対し「裕福で教養のある方たちのなさる事」というイメージを持っていた「お金も教養も品もない私」には縁のない世界だと思っていた。

そのころ、日本で生まれ育ち、フランスでフランス人と結婚し、母になった私は、自分のアイデンティティーを失ってしまっていた。
もともと白黒はっきりしないと嫌な性格の私は、「郷に入っては郷に従え」に勘違いして従い、その中で自分を自分で苦しめていた事に気が付いていなかった。
娘に日本語だけはでなく、日本文化を体感して欲しいという想いから、日本舞踊をお友達に一緒に教えてもらうことにした。着物やしぐさ、日本語の表現の豊かさなど、改めて日本文化の美しさを知ったと同時に、日本人としてそれを誇りに思った。

その踊りの先生の帰国を機に、裕子先生にお茶を習うことを決意した。私には「敷居が高い」と笑われても、日本文化と繋がっていたいという想いの方が強かったのであろう。
そして一般の「お茶の先生」のイメージを逸脱した、裕子先生の懐の深さと臨機応変に対応してくださる所に、自分の居場所を見つけられたのかもしれない。

それから早一年。全然お点前に進歩の影は見られないが、今では週一回のお茶の時間は、私の「最強の癒し」と時間になった。お茶をとおして初めて「一期一会」を体感した。
場所や天気、人やお道具などとの一瞬のコンタクトが、一生の宝となる。
 「白と黒」を「陰と陽」と同類だと思っていたバカな私は、それは全く別だと気付かされた。「陰と陽の共存」を五感をすべて使い、身体を通して私に教えてくれるお茶。ピりっとした緊張感のあるやり取りの中で、自分と対話する大切な時間。それが私に教えてくれたことは何よりも大きい。
 上達は望めないかもしれないが(先生すいません・・・)、私が私でいられるためにこれからもお茶を続けていきたいと思う。

みゆき

mardi 9 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑧

私が裕庵に初めてうかがったのは去年のひな祭りでした。
友人がお茶の先生の御宅でひな祭りのお茶会があるんだけど、子供連れでも大丈夫だから来ない?と誘ってくれたのです。フランスに居てもひな祭りを楽しめるなんて!
子供を日本文化に触れ合せたいと思った私は、2歳だった下の娘を連れていそいそと参加しました。それまで茶道に触れたことも無かったのに。日本でだったらお茶会なんて誘われても尻込みしていたと思います。
そこでいただいたお抹茶とお菓子の美味しかったこと。
お稽古に興味を持ったものの、先生の凛としたお姿や友人の茶道に対する真摯な態度に、未経験の私がお茶とお菓子に釣られて軽い気持ちで始めてはいけないものかな?と感じてすぐに飛び込む気持ちにはなれなかったことを覚えています。
程なく裕子先生が茶道の研鑽のために京都に赴かれ、私は友人の家に遊びに行くついで(先生ごめんなさい!)にお抹茶をいただいたり、スカイプでお稽古をつけて頂くようになりました。
そして半年後、秋に先生が日本からお帰りになって、私はようやく裕庵にお稽古に通うようになりました。
今となってはだんだんとゆっくりと始まったおかげで、私と茶道の縁は深くなって行ったように思います。
私を初めにお茶会に誘ってくれた友人はもう日本に帰国されました。
日本にいた時には全く茶道に縁の無かった私が今もお稽古を続けています。そして私もやがて日本に帰ります。人生に出会いと別れはつきものですが、ゆっくりと結ばれてきた茶道の縁が、先生とも彼女ともそして今お稽古をともにしている同門の皆様とも、距離は離れてもこれからもつないでくれるように感じています。

samedi 6 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑦

私は地元に、一風変った友人たちがいる。

伝統工芸を受け継いだ人、完全無農薬で自給自足の生活をする人、日本の食文化をテーマに作品を作る芸術家、古い民家の古材を再利用する会社を起こした人、南米を自転車で旅した人、日本ではあまりなじみが無いヤギチーズを手作りする酪農家さんなど…
京都で仕事をしていたら出会いそうも無い彼ら。そんな彼らと私を引き合わせてくれたのは、これまた一風変わった中学校の英語教師Mさんだった。
 
Mさんとは、私が中学の頃から社会人になってからも通っていた剣道道場で知り合った。
田舎なので周りの先生方や通ってくる人たちはみんな昔からの顔見知り。新しい人が一人でポンと参加できる雰囲気ではなかっただけに、高段者の先生を前にしても萎縮せず、スーッと入ってきてあっさり溶け込んでいく彼女の親しみやすさに驚き、ハラハラした。
 
そんな彼女は30歳を過ぎてオートバイに乗り、ウクレレをお供に世界一周の旅を単独で成しえた人で、雑誌や新聞に載るほどの人。街中を白馬に乗って現れる、ちょっと知られた人だった。

彼女の旅の話は面白い。
砂漠でテントを張って野宿したときの話で、「野生動物とかサソリとか怖く無かったですか?」と聞くと、「野生動物より人間が入ってくるほうが怖いよ。」とか、「一人何も無い砂漠を疾走していたら寂しくなってきて、その辺のハトと仲良しになった。」といってハトの物まねをしてくれた時はお腹を抱えて笑った。
 
その彼女に連れられて行ったのが、地元で農業や酪農、伝統工芸を受け継ぐ人たちが集まって近況を報告したり、これからやりたいことを発表したりする、「満月の会」。
月に1度、満月の夜にみんなでご飯とお酒を持ち寄って、時にはバーベキュー、時には手作りカヌーで湖に出てお月様を観賞したり、ギターやウクレレを聴きながら夜遅くまで話したりした。
 
その会で私は今後やりたいこととして「海外で剣道をやりたい」と言ったのを覚えている。
中学からずっと体育会でやり続けてきて、無心とは何かをずっと心がけてきた。けれど、毎回の稽古を充実させたい私と、「結果を出す」という周りと目標が合わず、この頃にはもう無心で稽古を出来なくなっていた。
多くの知り合いは「海外なんて今更行ってどうするの?変わったことせんと結婚すれば?」と言う。けれど満月の会の皆は「面白そうじゃないの!がんばって」と背中を押してくれた。
 
満月の会から離れて3年。彼らとは今でもSNSで繋がっていて、見ているとこの会で話していたことを実現した方や、地元に貢献し続けている方ばかり。
彼らの共通点は「自分の好きなことを好きなように」だ。彼らの肩肘張らない活躍は私に元気をくれる。
 
さて、Mさんは今でも地元で2頭の馬と遊牧生活を送っている。

住んでいるのはモンゴルのゲル風のテントで、毎日火を起こし、山で仕留めた鹿を自分で捌いたりも出来るし、買い物に行くときは馬に乗っていく。
自分の好きなことを突き詰めた彼女が、最近の新聞のインタビューで「自分の好きな世界は自分で作って良い」と答えていて、彼女の笑顔が思い浮かぶ。Mさんらしいなぁと思った。自分の幸せとは何か、彼女はよく知っている。
 
私のほうは、実際フランスに来てから剣道をやっていたが、日本以上に無心になるのは難しく、また病気も重なって今は稽古をしていない状態だ。
でも、捨てる神あれば拾う神あり。
茶道に出会い、書道に関わらせてもらい、一つの事に徹しで無心になる瞬間を、わずかながら体験させてもらっている。もし日本に残っていたとして、病気を抱えたまま、前向きに過ごしている自分がいただろうか。

もし今彼女に「聡ちゃん、幸せ?」と言われたら「うん、幸せよ」と答える自分しか想像できない。
 
聡子

mardi 29 juillet 2014

お稽古メンバーブログ 〜陶々舎/演観クロス〜


とうとう私の番が来てしまいました。

人間というのは何て愚かな生き物なのでしょう。 裕庵の代表として、またこのブログを

皆で書くことの発案者として、格好悪い文章は書けないなとついつい肘を張ってしまう。

それでも、肘を張ってカッコいいことばかり書いていては、自分の本当に伝えたいことは伝わらないだろうと思い、なるべく今の気持ちに忠実に文章をしたためようと思う。

 

京都は不思議な土地だと思う。

7月上旬に日本に帰省をし、本来なら時差ぼけから立ち直るのに1週間はかかるのが常だけれども、今回は3日目にして京都へ向かった。 

出向いた先は陶々舎。

陶々舎というネーミングの由来は不明だけれど、次回住人に会う時に聞いてみようと思う。

この陶々舎というのは、お茶の友人で、やはりお茶が好きで好きでたまらないという福ちゃん(裕庵イベントのJardin d’Acclimatationにも来てくれた、)とその友人たち3名が古い一軒家を改装して何とも情緒溢れる素敵な家に仕上げた。

そこでお茶のみならずいろいろな文化交流の場となっている。

今回は『演観クロス』という演者と観客を近づけるイベントで、京大能楽部の部員さんたちがナビゲーターで謡《猩々》をみんなで謡う。謡をする人は笛・子鼓・三味線などを当たり前のようにこなす。 私自身は能が大好きで、機会があれば必ず見るけれど、まさか自分も演者になれるなんて!!

その夜は稽古が終わると何となくビールが出てきておつまみが出てきて誰かが『高砂』を舞い、何となく鼓と笛が・・・

何て美しい夜なのでしょう。

その日集ったメンバーの半分以上は茶道を嗜んでいたり、何となく文化的な話、政治の話が自然と出来て、何て自然な夜なんだろう。

 

裕子 

 

 

dimanche 13 juillet 2014

~お稽古メンバーブログ ⑤~

私が茶道を始めたきっかけは、大学の茶室に一目惚れをしたからだった。
 東京の外れにある大学に通っていたとき、友人に誘われて何となく見学に行った茶道部。茶道部は、大学キャンパスの隅にある「泰山荘」で活動していた。普段授業を受けている建物からは、徒歩10分程かかるので、私は、それまで足を踏み入れたことがなかった。「泰山荘」は、キャンパス内にある、日本庭園で、門は茅葺き、庭園、そしてやはり茅葺きの待合、その他いくつかの日本家屋から成り立っている。(写真はこちら:http://subsite.icu.ac.jp/fundraising/pdf/taizanso.pdf )
 とても美しい静かな場所だった。
 「泰山荘」は、忙しい大学生活の中で、茶道を通して、月に数回心を落ち着かせる場所を私に居場所を与えてくれた。
 正直に言って、子供の頃はあまり美味しいと思ったことがなかった和菓子やお茶も(子供の頃は、洋菓子や紅茶の方が好きだった)、大学生になった私には、美しさと繊細な甘さを理解できるようになり、とても好きになった。
 また同時に、茶道部員として、茶会の企画や運営に関わることにもなった。日頃の稽古の準備、炭洗い(冬は寒い)、泰山荘の掃除(森の中の庭を掃き清めるの大変)は、今になって考えれば、よい精神修行だったと思う。茶会の運営は、効率的かつ臨機応変な接客を学ぶことができた。文化財(高風居)の保護修復活動に携わることもできた(そして、その文化財のお茶室で、お茶会をする機会にも恵まれた)。
 茶道は、私の大学生活の大切な一部となっていた。

 少し皮肉だったの、私は、授業の多くが英語で、国際的な教育で有名な大学に入学し、国際経済を専攻していたのに、そこで、茶道を習い始めたことだった。そして、社会人になって一度中断していた茶道を再度再開したのも、パリだった。日本から離れて、茶道を再開した。多分、私にとって茶道は、自分の日本人らしさと日本以外の文化のバランスをとる重要なツールなのだと思う。
 ではなぜ、他の伝統芸能や武道ではなく、茶道なのか。まず、言えるのは、茶室に始まる日本建築の美と茶道具の美しさが、欠かせない。二点目は、美しく美味しい茶菓子。美味しいものが大好きな私には、大切な点だと思う。また、茶事の時の懐石は忘れられない。三点目は、私はお客様を迎えるための準備が好きなのだと思う。物理的な水屋仕事と、お茶を点てるを時の精神的な準備。お茶会や茶事の時の事前の準備。茶道は、これらすべての点が、重要で、まだとても日本的であると思う。しかし同時に、美も、美味も、一期一会のための準備も、日本という文化に留まらず、世界共通、どの国に行っても受け入れられる、普遍な価値観とも言える。だから、茶道は、私の中で文化のバランスをとる役目をしてくれるのだと思う。
 そして、これからも、茶道は私の生活の大切な一部であり続けると思う。
瑞恵

lundi 7 juillet 2014

〜お稽古メンバーブログ ④〜

Despite having started to study the japanese language and culture almost 20 years ago whilst at university in the UK, spending one year as an exchange student in Gunma and another four in the north of England and in London learning all I could about Japanese art history, history and language, it wasn't until the beginning of this year that I left the realm of pure theory and started on the ura-senke tea ceremony path. How ironic that it was to be in Paris, a city that neither I nor my wife come from, that I was to encounter tea properly!

Introduced by my wife, I had already met Takaoka-sensei on a number of occasions, but it wasn't until I assisted at a hatsu-gama party that I was fully won over by the beauty and grace of the tea ceremony. That was six months ago now, and although I have a huge distance to go yet before I can consider myself with any degree of conviction to be an adept, I am content to be at least able to say that I am a tea practitioner, to have become accustomed to the mental calm and physical peace that come from practice, and to feel that I have begun to understand the significance of the tea ceremony.

I have heard it say that cha-do -- be it of the omote-senke, ura-senke or any other school -- is a thing of an era long-gone, an insignificant past-time for the culturally closed-minded, a hobby unworthy of attention. And whilst I have never adhered to that opinion, I admit that I did perhaps unconsciously dismiss tea as a rather effeminate form of distraction, something for bored housewives to entertain their friends with. But with the little time I have spent actually practicing and, perhaps more importantly, observing other practice, I am firmly convinced that I was wrong. I find it hard to believe that it took me so long to find the tea ceremony, that it took me so long to see in the tea ceremony the proof of something I have long felt with regard to traditional culture and art: that the closer each nation adheres to its traditional culture the closer it is to its roots, and that the closer it is to its own roots, the closer it is to the roots of other cultures. With the importance it accords to respect, the skillful way in which it blends discipline and grace, economy of movement and expression of beauty, and the total mastery of the balance of simplicity and complexity, the tea ceremony is undoubtedly one of the ultimate expressions of Japanese culture.

And yet, it seems to me that in being so intrinsically Japanese, in being so thoroughly linked to one place and one culture, the tea ceremony is ultimately universal. Whilst it may at first look very different and seem very foreign, I somehow feel increasingly at home practicing the tea ceremony, more so than I do when, say, visiting a modern shopping store or walking along the street of a large modern city, be it in Europe or the Far East. I may be a peculiar kind of European, and Takaoka-sensei may not be the average teacher, but I am sure that what I feel goes beyond just me, beyond just Takaoka-sensei, even. I suspect that because the tea ceremony is so at peace with itself and so intensely rooted in its own cultural background, that it inspires all those who practice to be at peace with themselves and to take root in their own cultures, and that this is what instills the sense of place and of belonging that comes with practice: and when we have a good base to stand upon, it is only natural that we can see further and more clearly. That then is perhaps why I feel more and more that the tea ceremony enables me to rediscover the roots of my own culture, to see the common points between the traditions I was brought up with and those of Japan, and to feel this sense of time and place at once very specific and universal.

It has only been six months, then, since Takaoka-sensei was kind enough to take me in and to teach me; it is only a percentage of what she teaches that I understand; it is only a small part of what I understand that I can remember; and yet, it already seems so rich, that it amazes me to think of what it must be like to have been practicing ten, twenty, thirty years..! I am happy that Japan has an art form as powerful as the tea ceremony, and happy that I am able to practice it: I thank the ura-senke school for conserving their traditions with such brilliance, and for bringing such an art form through the centuries to the present day, and I thank Takaoka-sensei for teaching me.

Nicholas

 

samedi 28 juin 2014

夏有涼風 ~お稽古メンバーブログ3~

私達家族は、子供ができたことを機に数年前、今住むSaint Arnoult en Yvelinesという森に囲まれた村に引っ越してきた。
アメリカ風の、家と家の間に壁がない、静かな住宅街。気になるご近所さんはというと、ほとんどが両親くらいの年代の
定年後のカップルがほとんど。田舎の人は、パリとは違って、皆やさしそう。。。と思って喜んでいたのは束の間、一軒だけ
どうも気になる、感じの悪いおじさんがいた。男の子2人を持つ4人家族なのだが、特に親父さんは、妙に愛想がよくない。
こちらが挨拶をしようと目線を送っているのに、絶対わざと、無視しているのだ。私と旦那の中では、”あの人、完全に
人種差別の人やと思うよ””うんうん、絶対そう!”とすっかり彼は悪者になっていた。

そんなある日、私が庭の芝生刈りの作業を、手動の道具を使って汗を流してやっていたとき、あの親父が前を通りかかった。
いつもの通り、がん無視をくらわされるのを承知で、何気に見つめていたら、今日は彼もこっちを見つめている。
???と思った瞬間、こちらに向かって、ずんずん歩き出した。何?何?何か私悪いこと、したかな??と焦り始めた頃、
”そんな道具でやっていたら、すぐに背中を悪くするよ。”と言う。”うちに電動のものがあるから、それを使うといいよ”
そう言うと、彼はこっちが答える前に、さっさとその道具を探しに彼のガレージに向かった。
”はい!僕は急いでないから、返してくれるのは、いつでもいいよ”とニコリ。
ぽかんとあいた口がふさがらなかった。
今まで、人種差別呼ばわりしていた、あの愛想の悪い男が、今かけてくれた優しい言葉と行動のギャップに、とまどいを隠せなかった。
そしてその夜、いかに人のことを見かけで判断することがいけないことか、旦那とワインを飲みながら、しみじみ語り合った。

その数日後、また彼が私に話しかけて来た。無視されていると思い込んでいた時は、あんなに恐い形相だと思っていたのに、実際に話して
みると、すごく優しい目をしていることに気付いた。聞いてみると、彼の親しい友達で、日本人女性と結婚しているやつがいる。
よく家に呼んでごはんをしているから、次回彼らが来るときは、是非来ないかということだった。それも、彼の奥さんは、なんやら
お茶をやっているとか、教えているとか、、、ふーん。とにかくそれより、近所中で一番意地悪だと思っていたおじさんが、
私達を一番最初に家に招待してくれる人になるなんて、夢にも思わなかった。

そしてとうとう、彼達のお家で、裕子さんに会った。すごくキレイな人!っていうのが、最初の印象だった。
話してみると、それも、関西弁!めちゃくちゃ嬉しかった。こんな田舎で、関西弁で話せる人と出逢えるなんて、びっくりした。
同郷同士で、とにかく初対面とは思えないほど、盛り上がった。フランス人達のことは眼中になく、お茶の話、仕事の話、子供の話、
色んな話をがんがん、語り合った。そして少し話した後、すぐに感じた。この人は、絶対すごいお茶の先生だと。
関西弁でくだけているのだけれど、どこか凛とした美しさがある。ふんわり女性らしい雰囲気の中に、芯がしっかり通っている。
こういう人が伝えるお茶は、きっと素晴らしいのだろうな。。。以前にパリで習ったきり、尻切れトンボ状態になっていた、私の中のお茶心
に、また炎がともった。お茶のほうから、またやるべきだよ、と言ってくれている気がした。

今の時代は本当に便利になったもので、裕子さんとは、LINEでその後も、簡単にかつ頻繁に、連絡をとりあうことができた。
裕子さんも、週末はご家族と時間を過ごしたいだろうに、平日はどうしても無理という話で、あきらめかけていた私に、
土曜日にできるかもしれない、と前向きに土曜日講座開講にすぐに取り組んでくださった。この場を借りて、改めて感謝します。

こうした不思議な縁で、私はまた、お茶を始めることになりました。
海外に暮らしている分、こうして定期的に日本を感じること、そして季節を感じること、そして今日の幸せを感じること。
今後、自分がお茶のお稽古を通して、どういう風に自分が成長してゆけるか、今から楽しみです。

坂口香織




mardi 24 juin 2014

日日是好日 ~お稽古メンバーブログ2~

Sさんが6月末でパリを去る。裕庵にとって欠かせない存在のSさん。お昼チームを引っ張って下さった頼りになる先輩。
5月、アトリエフジタでのデモンストレーションを終えてほっとした頃、「茶事をするのは時間的に厳しいので、Sさんの送別会として且座をしましょう。」と先生から提案。

七事式の且座では、亭主と半東だけではなく、客も花、炭、香、と事前に決められたそれぞれの役割を担う。
経験の浅い私たちは先生からじっくり所作の指導を受け、全体の流れをつかむ。Sさんは亭主。私の担当は正客でお香。香を聞くのは初めての経験。

当日。朝から快晴。
心地よい初夏の空気の中、Sさんをイメージしてお香を選び、軸を掛け、花を揃え、そして道具を棚に飾っていく。水屋で頂くお菓子は手作りの水無月。最後に全員着物をまとう。

席入りして、総礼。一気に気持ちが引き締まる。
亭主の所望で式が進んでいく。丁寧に挿された花、初めて見る先生の炭手前、ドキドキしながら焚くお香。温まった香炉を持ち上げて試し聞きをすると、柔らかい香りに緊張が解ける。
そして亭主であるSさんが濃茶を練る。凛とした姿に全員が見入る。水を打ったような静寂の中、茶筅の音が響く。
二度とない、かけがえのない時。
茶碗の赤とお茶の緑が目に鮮やかで、本当に美しい。ひとくちひとくち味わって頂く。
半東が亭主に薄茶を点てる。
ほっとする気持ちと、あー終わってしまうという寂しさで胸がつまる。

且座は自分の役目に没頭するだけではなく、皆との調和を考えながら一つの空間を作り上げる。そして最後まで責任を持って役割を全うする。
いつもの稽古とは違った風景で、周りを見ることができる。仲間の新しい一面を知ることができ、役割の本質を理解することができる。

反省点は多々あれども・・・この時間を皆で過ごせたことに感謝し、Sさんへのはなむけの会になったのではないかと。自画自賛。
先生セレクトのお軸は「日々是好日」-どんな雨風の強い日でも、全身全霊で生きましょう。
送る側、送られる側、決して生徒を油断させない、素敵な先生であります。
ITO

lundi 16 juin 2014

お稽古メンバーのブログ 1

私が裏千家の世界に入れたのは、今ナンシー在住の玲子さんのおかげです。
彼女が気軽に声をかけてきて、お茶いかない?とまるでカフェでもするかのように
誘われたのでした。笑
はじめは娘のリディが誘われて、私は見学するだけでいいよ。と言われていたので
そんなものなのかと本当に無知のままで茶道を見学させていただいた時、日本の美学というか、海外生活が長くなってきて茶道の美しさが心まで浸透していくのがわかりました。
リディも海外にいながら少し茶道を学べたこと、誇りに思っているようです。

もちろんそれまでの私は茶道などとても敷居の高いものでとても恐縮していた世界でしたので、娘を利用して(笑)私も少しづつ茶道のことが分かってきました。
きっと日本に住んでいたら私は茶道のことを学べなかったと思います。
でも少しづつでもいいから日本人の私は茶道を通じて日本の文化を今更ながらなのですが覚えなくてはならないなー・・・と痛感しています。

茶道の時間、雑念を忘れてお茶のことだけを考える時間。とっても精神統一になって、
フランスにいるのにあの空間はとても好きです。

でもまだまだ覚えることだらけで、いつかは先生のようなお点前がしたいと思いつつ、
うーむ・・・頑張りまーす!

ゴンザレス明子

lundi 26 mai 2014

Atelier @Maison Foujita ③


お茶会当日。

先週までは雨模様だったのに、雲一つない晴天!!
日ごろの行いがいいのですね~
畳を四畳半と道具一式入るプジョー君のお陰でdeplacementでデモンストレーションが出来るわけです。有難いですね~ 今度洗っとこ。

さて、現地に着いて水屋と床の位置から決めるところからスタート。
園子さんはSaeちゃんの授乳の為長時間は空けられないからといって、準備、そして一度家に帰り夜の部にまた来てくれるという情熱です。 メンバーの中で園子さんはGuimetAcclimatationといくつかのデモンストレーションを経験しているので、園子さんが準備に来て下さったのは皆にとって心強かったのでした。
そしてまた、私にも「裕子さん、もっと白いファンデーション塗ったほうがいい」とか、他の人が言いにくい助言もして下さるので本当に裕庵にとって欠かせない存在。
それなのに~ もう来月帰国なんて~ 涙涙涙

こちら、一応白めのファンデを塗っているショット
あまり色白ではないので、着物の時こまるんですよね。。 殆どが着物なのに・・・
 
それにしても、お天気のいい日に大好きな人たちとあーだこーだ言いながら準備、楽しすぎる~

こうして落ち着いていられるのも、実は前日に円君と下見に行ったからなのでした。
Anneに遊んでもらって嬉しそうな円君

待てど暮らせど衝立が到着せず、もう軸を掛けようか、と話しているところにやっと到着。衝立を茶室に設置したときの感動! 緑の中にすっと溶け込む、これがなければ今日もないという程に空間に似合っている。


素敵な一日になりそうな予感・・・

 
15時 第一回アトリエ
初回にはMuseeの方たちにも入って頂きました。


16時 続々と人が集まり、こちらは実際にお客様にお茶を点てるのを経験してもらうというアトリエ。 この男性はお連れの女性にお茶を点てると意気込んでおられます。
美味しく点てれたかな?


 
17時 衣都さんのご家族がいらして下さいました。
「自分が入ったら夫婦漫才みたいじゃぁないですか、」と遠慮なさるご主人様を引っ張ってお正客に座っていただきます。


ね、ご主人様、いい思い出になったでしょ 
 

今回は水屋に徹して下さった桃さんもご家庭の都合でお戻りになります。 
お疲れ様でした~ あー、どうして水屋での写真撮らなかったのだろう・・・

Musee Foujita 藤田嗣治美術館 お茶会 ②


お茶会の日には15時・16時・17時の3会でYu-anお稽古メンバーによるアトリエを開催することに決まりました。 

で、メンバーに5月17日土曜のご都合を伺うことから開始。

ここで、私は皆さんに全てをお任せし、努めて裏方に徹することに決めました。それは偉大なJack先生の指導方針。

Japanese, they are used to follow the orders but this is the training to decide themselves.

今回はみゆきさんと衣都さんがリーダーとなり、会をまとめてくださることに。ある程度の出席者の状況がつかめると、衣都さんがサラリと「先生、出席表を作りました」とこんなものを作ってくださいました!



このお方、独身時代は某日系航空会社のスッチー(この呼び方古い??)だったのに、どうしてこんなに事務作業できるの??

私が目を丸くしている間にどんどん役割とすべきことが進んでいきます。

皆さん全員が自分のできること、できないことを話し合いながらアトリエの方針や解決策を生みだしていきます。 本当に私いらんやん・・・

そこで私はお茶を全く知らないフランスのお客様にお茶について説明をして下さい、と提案。
WikiCeremonie du theの説明書きから必要な部分を抜粋して下さい」との要望があったのをあえてはね返し、「皆さんが日々のお稽古で感じていることをそのまま文章にしてくれたらいい」

お茶って、それぞれの道であり、人それぞれ思うこともいろいろだと思う。 1年稽古した人もいれば治子さんなんて2ヶ月目だけれど、みんなそれぞれいろいろな想いを持っていると思う。 私も語りつくせないほどお茶の話をしたい時があったり、全く何も語れない日もある。 お茶は何が正しい とかではなく、自分がどうお茶と向き合うかだと思うのです。 そういう訳でWikiは却下させて頂いたのが大正解、フランス語万能な美幸さんが何とも美しい説明をつけて下さり、治子さんが更に膨らませて下さいました。


La cérémonie du thé,
C’est le moment de la purification de mon âme
où j'élimine les pensées toutes confuses,
 
から始まり、次はMaison Foujitaの説明

Foujita a voulu donner à ses oeuvres un attrait visuel autant que tactile,
comme le céramiste japonais qui façonne le bol de la cérémonie du thé
en pensant plaire tout autant aux yeux
qu'au toucher des lèvres,
et de la main.
Aujourd'hui, c'est un grand plaisir pour nous d'avoir cette belle occasion
de présenter la cérémonie du thé
dans le dernier atelier où il vécut.
 
 
Et laissez vous aller à trouver la paix intérieur....
(心の中の平和を探しに行きましょう)という風に終わります。
私の言葉で訳すと陳腐になってしまうのでなるべく控えたいと思います。


みんな~!! こんな風に思っていてくれたんや~
お茶の美しさとフランス語の美しさが融合したのを見た瞬間でした。

La nuit des Musee @ Maison Foujita 藤田嗣治美術館でのお茶会 ①


さて、前回の投稿からはや2年!! 

今回、久しぶりにブログを開けてみたのは、Yu-anお稽古グループの皆さんと一緒に、お茶を通しての自分、もしくはただ単に自分の身の回りのことなど、とにかく自分と向き合って文章を書こう ということになりました。
この試みを始めるきっかけとなったのは、京都漱石会代表を務めていらっしゃる丹治先生のお言葉、「文章を書くのは訓練だから。 ちゃんとした文章を書けるようにならないといけません。」と、漱石会の会報への投稿を何度か経験させて下さったのでした。

というわけで、Yu-anお稽古のお菓子だけでもかなりあるのでネタには困らないでしょう。

 
トップバッターは園子さんなのですが、ちょっと失礼して先日のLa nuit des MuseesMaison Foujitaのことを書こうと思います。 

きっと皆さんの思い出の一コマに残るはずのイベントだったから・・・
 
このイベントで欠かせなかったアイテムになった衝立のエピソードから始めようと思います。
そもそもこの衝立、藤田嗣治の筒書なんですよね~
これは複製ですけれど、本物と全く同じです。 ↓

 
 


 

みゆきさんと打ち合わせに行ったのは4月中旬、ChavilleからN118Villier le Bacleへ。 遠いような気がするけれど、車で20分! Eiffel塔に行くのとたいして変わりません。
畑の道を通り抜けると可愛らしい町に入るとそこに藤田嗣治が晩年を過ごした家があります。 


 
気さくなDirectriceのアンさんとFlorenceさん。
 
 

5/17日のイベントの打ち合わせが始まると私の頭の中はお茶会の道具組みのシュミレーションでグルグルグル・・・
やっぱり一番に考えるのがお軸ですね。 
でもテントで野点、一体どこに軸をかける? 

そんなことを考えながら、藤田嗣治のアトリエを案内してもらいました。
この美術館は全て藤田嗣治が住んでいた頃のものが置いてあります。 
1階は玄関と台所、

 

結構カワイイ系が好きだったのかな?

2階に上った瞬間、衝立が目に入り、「コレを軸の代わりに使いたい!」とヒラメき、早速Anneに打ち明けてみますが、断固として『No』コレは美術品なのよ! とのこと。 

ま、そらそうですよね・・・

それでも諦めきれず衝立をいつまでも眺めている私に、Anneはこんな提案をしてくださいました。
「本物はむりだけれど、複製で作ってあげられるかも」

感涙・・・

そういえば、「アナタしぶといわね」 とも言われた気がします。。
 

そして3階のアトリエへ。
 
 

このアトリエへは奥様の君代夫人も滅多に入ることを許されなかったという。

このアトリエに入った途端、何か冷や汗がでるような、鳥肌が立つような感覚に囚われた。

正面の暖炉の壁に描かれたキリスト磔刑図、そしてピエタ。 画法はミケランジェロの模倣かと思う絵から近代美術マネの技法かと思われるものまで多様。 フジタはあらゆる画家の技法を取り入れ、自分の芸術を作り出すため模索していたまさに日本人が得意とする模倣から始まり、新しいものを創るという人だったようです。

こちらは絵画を描くためにいろいろと用いられた日本の粉たちで、はったい粉・硫黄・黄な粉・ぬか とあらゆるものがありました。
 
 
こちらは藤田の名前が刻まれているノコギリ!!


 

学生時代は西洋美術、主にミケランジェロの研究をした私にとって今回の藤田嗣治美術館の訪問は17年前の学生時代にタイムとラベルをしたような感覚でした。

今はお茶に夢中だけど、いつかまた論文を書きたいな。。