dimanche 22 janvier 2017

【一花開天下春】(いっかひらいて てんかのはる)

昨日1月15日は裕子先生のお宅にて初釜が行われました。
新春恒例の牛蒡と白みそが絶妙なふっくら裕庵自家製お餅を頂き、その後のお濃茶。
いつ頂いても美味しさに感動する濃茶ですが、新年最初のお濃茶はいつも以上に
艶があり、奥行を感じました。今年も皆様にとって、素晴らしい一年でありますように。

今年の抱負を皆で語っていた中で、今年こそは裕庵のブログをまた活性化させましょう、
と先生に提案したのは私でして、僭越ながら、トップバッターをきらせて頂く次第です。

ブログを再開して欲しかった理由は、裕子先生を通し、私達生徒は様々なお茶体験を
させて頂いており、私は毎土曜日に、先生のお宅でお稽古をある程度決まったメンバーとお稽古
させてもらっているわけですが、オペラ教室や木曜日またナンシーはどんな方が、どういうことを
学び感じ、体験されているのかも知りたいし、またお稽古以外のイベントなどで参加された方が感じたことなど、
普段のお稽古だけではなかなか他の皆さんとお話しする機会もありませんので、
裕庵のブログを通して、情報や意見交換の場に出来たらと思うからです。
前回もパリ郊外でデモンストレーションに参加させてもらったときも、沢山の人々と会話をし、感動した気持ちを
是非皆さんとシェアしたいと思いましたが、人間時間と共にそういう気持ちも忘れてしまうものです。
そのような気持ちを文章に表すというのも感性を磨くよい機会にもなると思いますし、他の人の文章から
開眼、また刺激を受けることも多々あると思います。

ところで昨日の初釜で抱負の話をしていたときに、先生が”今年はもっと厳しい先生になったほうがよいのでは、と思う”
と仰っていました。でもなぜそこまで私が厳しく言わないかというと、”お茶はそれぞれの個性を大切にするべきだと思うから”と。
面白いなと思いました。きっちりと詳細な点までびしっとずれなくすることが良いことなのか、”その人のお茶”が
あることがいいのか。それに正解はないのかもしれません。
でも一つ言えることは、先生のお茶は楽しい。これ以上お稽古に大事なことがあるでしょうか?

私の主人は今住んでいる田舎町で空手をしていますが、彼の先生は沖縄に毎年行き、経験のある素晴らしい方
なのですが、彼からいわすと、”もっとけじめのある道場にすべきだ”という。道場に入るときは頭を下げ、気合の入った
声で挨拶をし、雑談のない、とにかくピーンと空気のはりつめた道場のようにすべきた、と。
しかし先生にいわせると、”日本での日本人に対するようにはいかない。もしこちらで日本の道場のようにしたら、
誰もついてこなくなるだろう。En France, il faut la carotte.(笑)”
確かに空手も日本では、帯も白、茶、黒しかないところ、フランスでは白と黒の間に虹のような色(黄、橙、緑、青、茶)があり、
各色の間にも一、二、三線がある。
長い長い間、白、で頑張る。耐え抜いた上、長年の努力の末の茶色。。。ここに日本人の粘り強さと美しさがある。
しかしフランス人にそれが出来るかといえば、、、、謎である。

ところでフランスに住む若干ヨーロッパナイズされた日本人たち、、、つまり私達のような人種には、裕子さんのような
どうでもいいことにはゆるーいけど、肝心な部分にはぴしっと芯の通っている先生が絶妙にあっていると思うのは、私だけでしょうか?


最後に新年にふさわしい禅語を見つけたので記したいと思います。


【一花開天下春】(いっかひらいて てんかのはる)

意味は、一輪の春が天下を告げている。ですが、有馬様は、禅宗の初祖・達磨大師(日本に禅宗を伝えたのは臨済宗の栄西です。達磨大師は、南インド香至王の第三子。仏陀から28代目の祖師。6世紀初め中国に渡り少林寺で9年間面壁坐禅して大悟した。そうです)の伝えた禅がいっせいに開花して、天下がみごとに治まり、天下泰平の春になった、と、解釈したいそうです。一輪の花が開くことによって天下に春が訪れるように、一人の人間があらわれることによって世界が救われる。それは、達磨大師に限らず、私たち一人一人が花開くことによって、みごとに世界が平和になる。


今年も皆さん健康第一で、楽しい一年を迎えましょう。

それでは、ブログリレーのバトンをまりこちゃんに渡します♪

坂口香織