jeudi 18 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑨ ~最強の癒し~

 今から7年前、共通の友達を通して、私は先生と出会った。茶道に対し「裕福で教養のある方たちのなさる事」というイメージを持っていた「お金も教養も品もない私」には縁のない世界だと思っていた。

そのころ、日本で生まれ育ち、フランスでフランス人と結婚し、母になった私は、自分のアイデンティティーを失ってしまっていた。
もともと白黒はっきりしないと嫌な性格の私は、「郷に入っては郷に従え」に勘違いして従い、その中で自分を自分で苦しめていた事に気が付いていなかった。
娘に日本語だけはでなく、日本文化を体感して欲しいという想いから、日本舞踊をお友達に一緒に教えてもらうことにした。着物やしぐさ、日本語の表現の豊かさなど、改めて日本文化の美しさを知ったと同時に、日本人としてそれを誇りに思った。

その踊りの先生の帰国を機に、裕子先生にお茶を習うことを決意した。私には「敷居が高い」と笑われても、日本文化と繋がっていたいという想いの方が強かったのであろう。
そして一般の「お茶の先生」のイメージを逸脱した、裕子先生の懐の深さと臨機応変に対応してくださる所に、自分の居場所を見つけられたのかもしれない。

それから早一年。全然お点前に進歩の影は見られないが、今では週一回のお茶の時間は、私の「最強の癒し」と時間になった。お茶をとおして初めて「一期一会」を体感した。
場所や天気、人やお道具などとの一瞬のコンタクトが、一生の宝となる。
 「白と黒」を「陰と陽」と同類だと思っていたバカな私は、それは全く別だと気付かされた。「陰と陽の共存」を五感をすべて使い、身体を通して私に教えてくれるお茶。ピりっとした緊張感のあるやり取りの中で、自分と対話する大切な時間。それが私に教えてくれたことは何よりも大きい。
 上達は望めないかもしれないが(先生すいません・・・)、私が私でいられるためにこれからもお茶を続けていきたいと思う。

みゆき

mardi 9 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑧

私が裕庵に初めてうかがったのは去年のひな祭りでした。
友人がお茶の先生の御宅でひな祭りのお茶会があるんだけど、子供連れでも大丈夫だから来ない?と誘ってくれたのです。フランスに居てもひな祭りを楽しめるなんて!
子供を日本文化に触れ合せたいと思った私は、2歳だった下の娘を連れていそいそと参加しました。それまで茶道に触れたことも無かったのに。日本でだったらお茶会なんて誘われても尻込みしていたと思います。
そこでいただいたお抹茶とお菓子の美味しかったこと。
お稽古に興味を持ったものの、先生の凛としたお姿や友人の茶道に対する真摯な態度に、未経験の私がお茶とお菓子に釣られて軽い気持ちで始めてはいけないものかな?と感じてすぐに飛び込む気持ちにはなれなかったことを覚えています。
程なく裕子先生が茶道の研鑽のために京都に赴かれ、私は友人の家に遊びに行くついで(先生ごめんなさい!)にお抹茶をいただいたり、スカイプでお稽古をつけて頂くようになりました。
そして半年後、秋に先生が日本からお帰りになって、私はようやく裕庵にお稽古に通うようになりました。
今となってはだんだんとゆっくりと始まったおかげで、私と茶道の縁は深くなって行ったように思います。
私を初めにお茶会に誘ってくれた友人はもう日本に帰国されました。
日本にいた時には全く茶道に縁の無かった私が今もお稽古を続けています。そして私もやがて日本に帰ります。人生に出会いと別れはつきものですが、ゆっくりと結ばれてきた茶道の縁が、先生とも彼女ともそして今お稽古をともにしている同門の皆様とも、距離は離れてもこれからもつないでくれるように感じています。

samedi 6 septembre 2014

お稽古メンバーブログ ⑦

私は地元に、一風変った友人たちがいる。

伝統工芸を受け継いだ人、完全無農薬で自給自足の生活をする人、日本の食文化をテーマに作品を作る芸術家、古い民家の古材を再利用する会社を起こした人、南米を自転車で旅した人、日本ではあまりなじみが無いヤギチーズを手作りする酪農家さんなど…
京都で仕事をしていたら出会いそうも無い彼ら。そんな彼らと私を引き合わせてくれたのは、これまた一風変わった中学校の英語教師Mさんだった。
 
Mさんとは、私が中学の頃から社会人になってからも通っていた剣道道場で知り合った。
田舎なので周りの先生方や通ってくる人たちはみんな昔からの顔見知り。新しい人が一人でポンと参加できる雰囲気ではなかっただけに、高段者の先生を前にしても萎縮せず、スーッと入ってきてあっさり溶け込んでいく彼女の親しみやすさに驚き、ハラハラした。
 
そんな彼女は30歳を過ぎてオートバイに乗り、ウクレレをお供に世界一周の旅を単独で成しえた人で、雑誌や新聞に載るほどの人。街中を白馬に乗って現れる、ちょっと知られた人だった。

彼女の旅の話は面白い。
砂漠でテントを張って野宿したときの話で、「野生動物とかサソリとか怖く無かったですか?」と聞くと、「野生動物より人間が入ってくるほうが怖いよ。」とか、「一人何も無い砂漠を疾走していたら寂しくなってきて、その辺のハトと仲良しになった。」といってハトの物まねをしてくれた時はお腹を抱えて笑った。
 
その彼女に連れられて行ったのが、地元で農業や酪農、伝統工芸を受け継ぐ人たちが集まって近況を報告したり、これからやりたいことを発表したりする、「満月の会」。
月に1度、満月の夜にみんなでご飯とお酒を持ち寄って、時にはバーベキュー、時には手作りカヌーで湖に出てお月様を観賞したり、ギターやウクレレを聴きながら夜遅くまで話したりした。
 
その会で私は今後やりたいこととして「海外で剣道をやりたい」と言ったのを覚えている。
中学からずっと体育会でやり続けてきて、無心とは何かをずっと心がけてきた。けれど、毎回の稽古を充実させたい私と、「結果を出す」という周りと目標が合わず、この頃にはもう無心で稽古を出来なくなっていた。
多くの知り合いは「海外なんて今更行ってどうするの?変わったことせんと結婚すれば?」と言う。けれど満月の会の皆は「面白そうじゃないの!がんばって」と背中を押してくれた。
 
満月の会から離れて3年。彼らとは今でもSNSで繋がっていて、見ているとこの会で話していたことを実現した方や、地元に貢献し続けている方ばかり。
彼らの共通点は「自分の好きなことを好きなように」だ。彼らの肩肘張らない活躍は私に元気をくれる。
 
さて、Mさんは今でも地元で2頭の馬と遊牧生活を送っている。

住んでいるのはモンゴルのゲル風のテントで、毎日火を起こし、山で仕留めた鹿を自分で捌いたりも出来るし、買い物に行くときは馬に乗っていく。
自分の好きなことを突き詰めた彼女が、最近の新聞のインタビューで「自分の好きな世界は自分で作って良い」と答えていて、彼女の笑顔が思い浮かぶ。Mさんらしいなぁと思った。自分の幸せとは何か、彼女はよく知っている。
 
私のほうは、実際フランスに来てから剣道をやっていたが、日本以上に無心になるのは難しく、また病気も重なって今は稽古をしていない状態だ。
でも、捨てる神あれば拾う神あり。
茶道に出会い、書道に関わらせてもらい、一つの事に徹しで無心になる瞬間を、わずかながら体験させてもらっている。もし日本に残っていたとして、病気を抱えたまま、前向きに過ごしている自分がいただろうか。

もし今彼女に「聡ちゃん、幸せ?」と言われたら「うん、幸せよ」と答える自分しか想像できない。
 
聡子